犬のことと平行してムジナのことも調べていた。
そこで出てきた伝説。
道を歩いているとき、ムジナが前にいると思っても、本体は後ろにいる。ムジナに追いつこうとして転んでしまうと、ムジナに取り憑かれる。
ムジナどんなだよ。なんつー化け物だ。
ハクビシンやらアナグマやら、なんかそういった感じのほ乳類のことをムジナと呼んでいるみたいだけど、どうもタヌキやキツネと比べて化け物じみている気がしてならない。
犬の忠誠心はすげぇっていうのは、一般的に常識なんだけど、民話を読んでいると、それがものすごく誇張されて伝えられていることが分かる。
たとえば、鳥取県西伯郡大山町に伝わる民話。
村に2つの大きな寺があり、用事があるときは鐘を合図に一匹の犬を使いにやっていた。
あるとき、2つの寺の鐘が同時に鳴った。
犬はあちらに行けばよいのか、こちらに行けばよいのかと走り回り、ついには疲れ果てて死んでしまった。
人々は憐れんで墓をつくった。
その墓が、種原にある犬の墓である。
というもの。
これはあんまりにあんまりな気がする。必死すぎるだろオイ。
現実の犬はここまで忠実になれるもんなんだろうか。
犬の忠誠心はどこから来るんだろう。
従姉妹が、オバケが見えると言う。
厳密にいうとオバケという表記は正しくないのだけれど、便宜上「オバケ」と表記する。その方が分かりやすいし。
で、その見えるオバケなんだけど、なんでも、鎧を着たおじさんらしい。
なんで武士?
家の中で後を付いてくるから最初は怖かったけど、今は怖くないと言っていた。
守護霊かなんかなんだろうか。
子どもが、大人には見えない物を見ることができるという話だけれど、これは非常に興味深い。
6歳までは神の内と言うけれど、あの世とこの世の曖昧な状態にいるとされるからこそ、そういった物を見ることができるのだろう。
どのような物が見えるのか。何歳まで見えていたのか。そういった事を調べて統計を出せば、面白いものが書けそう。
不気味がった親の反発をものすごく受けそうだけれど。
猫が何にもない空間を目で追っていたり、部屋の隅を凝視してることがあるけど、あれも実際は何か見えてると思う。
猫の知恵は人間の3歳児程度らしいけど、案外、見えている世界が似ているかもしれない。
富山県黒部市(旧宇奈月町)下立に、ずんずん様と呼ばれる神様が祭られてる。
御神木をそのまま御神体として祭っており、歯の神様として地域の人々に親しまれているという。
黒部市では地神のことを「じんじん」と言うが、「ずんずん様」も「じんじん」が訛ったものだという。確かに、ズーズー弁の混ざっている富山弁からすると、「じんじん」も「ずんずん」もほとんど区別がないように聞こえる。
このずんずん様は非常に祟りの強い神様らしく、「ずんずん様に近づくときは気をつけないといけない」と言われているそうな。
さて、なぜ歯の神様なのかということだが、それはよく分からない。
もしかすると、
「ずんずん様ちゃ何け?」
「ずんずんとか言わいから、なんか伸びんがじゃないがけ?」
「しゃ何け。歯でも伸びらけ?」
「あー、そうかもしれんじゃ」
みたいな感じかもしれない。
なお、夏場にいくとヤブ蚊が待ってましたとばかりに群がってくるため、虫除け対策は必須。
中学の教員免許を取得するには、介護等体験というものがあって、養護学校や老人ホームでの介護等を体験せねばならんのだけど、僕は7月28日から8月1日までデイサービスで体験をした。
そのデイサービスに来られていたお爺さんから聞いた話。
「爪を切ると稲が伸びなくなるから、滅多に切るもんじゃないと爺さんに言われた」
ということ。
確か大阪出身の方だったと思う。
これは初めて聞く話だったから驚いた。それだと爪が伸びるばっかりじゃないか。雑草取りもしにくかろうに。
しかし、爪と稲に関係性を持たせたというのは面白い。人間の体の一部の成長が作物の生長と関連していると見るのは、他に髪の毛などもありそうだ。調べる必要がある。
そのお爺さんは帰り際、
「ご縁と命がありましたら、またどこかでお会いしましょう」
と言って帰っていかれた。素敵なご老人であった。